大分地方裁判所 昭和56年(わ)228号 判決 1982年1月28日
主文
被告人を懲役五年六月に処する。
未決勾留日数中二三〇日を右刑に算入する。
押収してある刺身包丁一丁(昭和五六年押第八二号の1)を没収する。
理由
(本件犯行に至る経緯)
被告人は、昭和五六年五月一九日午後零時半ころから大分県津久見市申央町二三番一七号大衆酒蔵「わらじ」において、飲酒していたところ、同日午後一時すぎころ岡部敏典(当時三〇歳)が客として同店を訪れ、同人も被告人らと並んでカウンターで飲酒し始めたが、右岡部は眉及び右肩に入れ墨をしているうえ、七分袖のシャツを着て雪駄履きであるなど、暴力団員風で、その場の雰囲気も面白くなくなつたため、被告人は同店を出た。
右岡部はその後も右「わらじ」で飲酒していたが、同店経営者新田正道から、いつまでも遊んでいないで仕事をするよう意見をされたことに立腹して、同人に喧嘩を挑み、無抵抗の同人を数回殴打してその場に転倒させ、顔面等に傷を負わせたうえ、なおその後も引続き同店で飲酒していた。
一方、被告人は近くの寿司屋で食事申右「わらじ」の女店員から、右新田が怪我をしている旨を知らされ、かねがね同人には就職等で世話になつた外、日頃何かと相談に乗つて貰うなどで兄のように慕つていたため、直ちに「わらじ」へ馳けつけたところ、女店員の話のとおり右新田の鼻の頭、唇などに血が滲んでいたので同人に誰にやられたかを尋ねたが、同人は「便所で転んだ」とか、「いいから心配せんでも良い」と答えるのみであつた。しかし被告人としては放置できず重ねて同人からその間の事情などを聞き出そうとしていたところ、傍で飲酒していた前記岡部が被告人に対し、「お前マスターと何の関係があるのか。文句があるならやろうじやねえか」などとくつてかかり、更には詰め寄つて来るという始末であつた。しかし新田及び同店の客らが右岡部を制止し、被告人も岡部に謝つたため、その場は一旦おさまつたものの、被告人としては、憤懣の情おさえ難く、さりとて右岡部は暴力団員風であり、素手ではかないそうにもなかつたところから包丁を持つて同人に対抗しようと考え、近くの金物店で刃体の長さ約19.5センチメートルの刺身包丁(昭和五六年押第八二号の1)を買い求め、これを腹巻の右後に隠し持つて右「わらじ」に引き返したが既に同店には岡部はいなかつた。そこで被告人は岡部の後を追つて外に出たが、新田から抱きとめられてなだめられ、同人と共に同店に戻つて再び同所で飲酒していた。
(罪となるべき事実)
被告人は昭和五六年五月一九日午後六時三五分ころ、大分県津久見市中央町二三番一七号大衆酒蔵「わらじ」表二畳の間において飲酒中、折から同店に再び客として来た岡部敏典が、被告人と一緒に飲んでいた友人らに対していいがかりをつけ、あるいは被告人の頭ごしに友人の頭を小突くなどし、これを制止しようとした被告人に対しても、「お前さつきは何や。やつちやろうか」などと因縁をつけ今にも殴りかかるような態度を示したが、これを新田が制止し、同店の客の協力を得て右岡部を一旦は同店の外へ押し出したものの、同人はすぐに同店内に戻つて来るなり今度は新田を同店奥のカウンターの方へ突きとばしたうえ、更に同人と押し合うなどし始めた。そこで、被告人はこれに憤慨すると共に右新田の身体を防衛するため、前記刺身包丁を右手に持ち、前記畳の間から立ち上がつて岡部に近づいたところ、同人は「やるか」と言うや、被告人の襟首をつかんで来たため、同月午後六時四二分ころ、とつさに同人を死に至らしめるかも知れないことを予見しながらあえて、右防衛に必要な程度を超え、右刺身包丁で同人の上腹部を一回突き刺し、同人に対し左上腹部刺創、右心室損傷等の傷害を負わせ、よつて同日午後七時二分ころ同市港町九番三号小田外科医院において、左右心室損傷等による心嚢タンポナーデにより同人を死亡させて殺害したものである。
(証拠の標目)<省略>
(過剰防衛及び殺意を認めた理由)
一過剰防衛
判旨前掲各証拠によれば、被告人の本件犯行直前における岡部の行動は、それまでの同人の言動から、これをそのまま放置すれば同店の客の迷惑になると考えた右新田が同人を同店の外に押し出そうとするのに対して、右新田をカウンターに突き飛ばし、尚も同人を押すなどしていたもので、右新田は片足に障害があり、また体力的にも岡部より劣ることを考えると、岡部の右行為は、もはや酔払いのいやがらせの程度を超え、右新田に対する暴行として刑法三六条一項の「不正の侵害」に当たるものというべく、また岡部の右行為は被告人の本件犯行直前まで継続していたのであるから、右は「急迫」なものと認めて差支えない。
判旨そこで次に防衛意思の有無について見ると、被告人は捜査段階及び当公判廷を通じてこのままでは新田がやられてしまうと考えて本件犯行に及んだというものであり、しかも被告人は同人が眉及び肩にいれずみをしており、その服装及び言動から見ても「ただ者」ではないと思つており、現に同日午後五時ころ同人は新田を殴打するなどして傷害を負わせていたこと及びその後の同人の言動などからすれば、被告人が岡部の前記行動を見て、更に新田に対し攻撃がなされると考えたのは無理からぬものというべきである。
もつとも判示認定のとおり被告人は同日午後六時前ころ兄とも慕う新田が岡部から殴打されて傷を負わされたことを聞き知るや、これに憤慨して近くの金物店で本件に使用した刺身包丁を買い求め、これを腹巻内に隠し持つて岡部の後を追つたが、新田になだめられて岡部に対する報復を思いとどまつた事実があり、これからすれば被告人の本件犯行は、単に防衛のためのみではなくそれまでの岡部に対する憤懣が一時に爆発したという面があつたことも否定できないのであるが、しかし前記被告人の供述内容及びこれに至るまでの経緯等に照らすと、この機に乗じて専ら積極的加害の意図でなされたものとまでは直ちに断定し難く、右憤懣による攻撃的意思が併存していたとしてもなお、被告人の本件犯行は「防衛する為め」にしたという妨げないものである。
そこで更に被告人の本件所為の相当性について考えて見ると、判示犯行に至る経緯において認定のとおり、本件当日の「わらじ」店内における岡部の言動は、同人自身日頃世話になつている新田の善意による忠告に因縁をつけ、無抵抗の同人を殴打して傷害を与え、また同店の客の誰彼なしに言いがかりをつけて暴行し、あるいは喧嘩を売るといつたもので、酔余と言え、目に余るものと言う外はないのであるが、しかし暴行とは言うものの、殴打にまで至つたのは前記新田に対するもののみであつて、それ以外は「突き飛ばす」「押す」「襟首を掴む」「小突く」といつた程度に過ぎず、しかも前掲証拠によれば当時同店内には、同人及び被告人以外にも、カウンターに加藤英明(四七歳、国家公務員)ら四名、出入口付近の間に宮脇享臣(三二歳)同秀樹(二九歳)ら三名の客があり、右加藤、宮脇らはいずれも右岡部の言動を苦々しく思い、中でも右加藤は岡部の言動が目に余ると認められるや、その都度新田に加勢して岡部を制止し、あるいはなだめるなどしていたことを考えると、被告人の本件犯行の契機となつた前記岡部の新田を突き飛ばし、押すといつた行動が、更に新田に対し重大な加害行為に発展するようであれば、当然同人らにおいてこれを制止することが予想しえたにも拘らず、前記のとおり鋭利な刃物を持つて、素手の岡部に立ち向い、同人に対し殆んど即死に近いような状態で死亡させた被告人の本件行為は防衛されるべき利益との均衡を著しく失し、相当性を欠く過剰防衛行為というべきである。
二殺意
前掲証拠によれば、被告人が本件において使用した凶器は刃体の長さ約19.5センチメートルの鋭利な刺身包丁であり、その攻撃の部位も身体の枢要部である左上腹部であつて、その結果生じた創傷は、肝臓左葉の一部を切截して左横隔膜等を貰通し、更に心臓右心室を穿通する深さ約二〇センチメートルに及ぶもので、被告人が右刺身包丁をかなり強く被害者に突き刺したことが認められ、右本件凶器の性状、生じた傷害の部位・程度、犯行の態様などを総合考慮すれば、被告人には本件犯行当時少くとも未必的殺意があつたことは優に認められる。
(累犯前科)<省略>
(法令の適用)<省略>
(量刑の理由)
本件は、かねてから飲酒しては他人に迷惑をかけるとの評判の高かつた被害者が、判示のとおり酒場の主人新田に意見をされたことに因縁をつけ、同人を殴打して傷害を負わせた後、再び同店において、他の飲客に対して相手かまわず侮辱的な言動をとつたことから右新田や他の飲客らによつて一旦は同店から押し出されたにもかかわらず、更に新田を突き飛ばし、同人と押しあうなどの所為に出たことに端を発したもので、いわば被害者が被告人の本件犯行を誘発したもので被害者の側にも非があることは否定できないのであるが、しかし右犯行は、防衛のためとはいえ、素手である被害者に対し、刃体の長さ19.5センチメートルの鋭利な刺身包丁によつて判示のとおりの傷害を負わせ、ほとんど即死に近い状態で死亡させるという事態を招いたもので、防衛の程度を著しく越え、その違法性の程度は高いといわざるを実ない。
そして被害者の遺族に対して満足のいく慰籍の方法は講ぜられていないことを併せ考えると、被告人の責任は決して軽いものとは言えないのであるが、その後、被害者の母親は被告人に対して宥恕していることが窺え、また現在被告人には改悛の情も認められること及び被告人の年令、これまでの生活状況等諸般の事情を勘案して主文のとおりの刑期に処するを相当と判断した。
よつて、主文のとおり判決する。
(近藤道夫 武部吉昭 塚本伊平)